第60話   庄内釣「時の運」地の巻   平成15年11月21日  

以前第21話「井伏鱒二と庄内竿 1で「釣師・釣場」〜庄内竿〜の中からの平野勘兵衛の逸話の抜粋を書いた。其の出典は何処からのものかといつも考えていた所、土屋鴎涯の「庄内の釣 時の運」〜地の巻〜第73図、74図にあった。鴎涯が縁あって本間家の傍系会社に勤めていた事からこの本は「本間美術館」から出されていた。当時の館長は大正、昭和の名竿師山内善作に竿つくりを師事された本間祐介である。(上図左刊行本、右原本)

土屋鴎涯(名を親秀と云い号を鴎涯と云う。慶応31867〜昭和131938)は庄内藩士土屋伊教の長子として生まれ、幼少の頃から鳥羽絵風の絵を得意とする。勤めの傍ら全国の文人との交流があり軽妙洒脱の絵を好んで書いた。大正14年昭和天皇が皇太子の時19点ご覧に入れた。鶴岡、新庄、酒田の裁判所に勤務し、退職後本間家の系列であった酒田本立銀行、信成合資会社に勤務したと云う人である。


73図


「明治の御維新の前後の頃、鶴岡に弓師の
名人平野勘十郎(勘兵衛)と云う人があった。

或る時倅を連れて釣に行くと倅はひた釣り
して早く蝦を使い尽くし、勘十郎君は何としたことか
さっぱり釣らぬと云うから蝦は沢山余っているのを
少し頂き度しと云うても返事が無い。二度三度
交渉しても睨みくさって一言も発せぬ。
帰宅後、家内達獲物を見て親のは空てんご、
子のはどっすりと入っているのに


74


驚くと倅が
おと様残りの蝦を私にくれれば
此倍位は釣たのであった。
と語る。母人脇から
「あなたどうせ残る蝦なら
何故分けてやって釣らせなさらぬ」
と云えば親仁(オヤジ)はったと睨み
女童の知った事ではない!
勝負の事は親子の間柄とは云えども
許されぬものだ!


原典ではこの様になっている。

井伏鱒二はこの逸話を「庄内釣 時の運」天、地、人の三巻を一冊にまとめた物と子孫に釣の極意を残した「垂綸極意 猫の巻」(昭和49年本間美術館より二巻を一つにして刊行された)を見たのか、本間祐介氏から聞いたのかは分からないが、とにかくこの本から取っていることは間違いない。この本を見ると幕末、明治、大正の庄内の釣が分かる。竹取、釣師に関係した逸話、釣の風俗等々・・・鳥羽絵風の戯画で面白おかしく描いてあって庄内の釣史を研究するのには無くてはならない一品である。唯惜しむらくはカラーでなく白黒の写真製版であったことである。原本を博物館で見た物は綺麗なものであった。

釣りを勝負と云っているのは、庄内と鹿児島だけだそうだ。



参考 庄内の釣「時の運」、荘内人名辞典